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『沈黙』(遠藤周作)1966

作品について

1966年に書き下ろされ、新潮社により出版。第二回谷崎潤一郎賞受賞作品。

概要
17世紀、江戸時代初期の日本におけるキリスト教弾圧に関する史実概要・文書をもとに創作された歴史物語。ポルトガルからやってきた司祭ホドリゴの視点を通しての物語神の存在、神の教え、信仰について抱いた疑問や葛藤の物語。

感想!

切なくて苦しい物語ですが、同時にキリスト教だけでなく日本という国の宗教的面(神道的、仏教的または土着的)についても考えることができました!

司祭の葛藤する気持ちの描写、真剣に悩む様子が、切ないながらも読みごたえがある。日本の価値観(仏教や日本に昔からある神々の存在等)とキリスト教の考えの比較されるさまざまな場面では、日本的な考え方、信仰のありかたが表現されている。作中で見せられるキリスト教の考えが中心となているが、登場人物たちによる(日本人であれ司祭たちであれ)日本の姿の説明はうまくなされてる。

作品からの抜粋

「私は、ふと(中略)耳にした海鳴りの音を心に甦らせました。(中略) その海の波はモキチとイチゾウの死体を無感動に洗いつづけ、呑み込み、彼らの死の後にも同じ表情をしてあそこに拡がっている。そして神はその海と同様に黙っている。黙り続けている。」

題名でもある沈黙がここに描写されている。神の沈黙。司祭ロドリゴは信徒が弾圧される無残な世界を目の当たりにし、神の存在を一瞬疑う場面。

・「日本人たちが持っていたのは基督教の神ではない。(中略) 蜘蛛の巣にかかった蝶そっくりだ。初めの蝶は確かに蝶にちがいなかった。(中略) だが実体を失った死骸になっていく。外形と形式だけ神らしくみせながら、すでに実体のない死骸になってしまった」

・「日本人は人間を超えた存在を考える力を持っていない」

・「日本人は人間を美化したり誇張したりしたものを神とよぶ。」

拷問により棄教を選び、日本人の妻まで持ったフェレイラ師の発言。この最後の文はうまく表現してるなとしみじみ感じた。

作者について

遠藤周作はキリスト教の家に生まれ12歳の時に洗礼を受ける。フランスにも留学経験がある。遠藤は後年、自分の信仰に関する思索を、「だぶだぶの洋服を和服に仕立て直す作業」と表現している。(Wikipediaより)


今回紹介した本


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