作品について
1966年に書き下ろされ、新潮社により出版。第二回谷崎潤一郎賞受賞作品。
感想!
切なくて苦しい物語ですが、同時にキリスト教だけでなく日本という国の宗教的面(神道的、仏教的または土着的)についても考えることができました!
司祭の葛藤する気持ちの描写、真剣に悩む様子が、切ないながらも読みごたえがある。日本の価値観(仏教や日本に昔からある神々の存在等)とキリスト教の考えの比較されるさまざまな場面では、日本的な考え方、信仰のありかたが表現されている。作中で見せられるキリスト教の考えが中心となているが、登場人物たちによる(日本人であれ司祭たちであれ)日本の姿の説明はうまくなされてる。
・「私は、ふと(中略)耳にした海鳴りの音を心に甦らせました。(中略) その海の波はモキチとイチゾウの死体を無感動に洗いつづけ、呑み込み、彼らの死の後にも同じ表情をしてあそこに拡がっている。そして神はその海と同様に黙っている。黙り続けている。」
題名でもある沈黙がここに描写されている。神の沈黙。司祭ロドリゴは信徒が弾圧される無残な世界を目の当たりにし、神の存在を一瞬疑う場面。
・「日本人たちが持っていたのは基督教の神ではない。(中略) 蜘蛛の巣にかかった蝶そっくりだ。初めの蝶は確かに蝶にちがいなかった。(中略) だが実体を失った死骸になっていく。外形と形式だけ神らしくみせながら、すでに実体のない死骸になってしまった」
・「日本人は人間を超えた存在を考える力を持っていない」
・「日本人は人間を美化したり誇張したりしたものを神とよぶ。」
拷問により棄教を選び、日本人の妻まで持ったフェレイラ師の発言。この最後の文はうまく表現してるなとしみじみ感じた。
作者について
遠藤周作はキリスト教の家に生まれ12歳の時に洗礼を受ける。フランスにも留学経験がある。遠藤は後年、自分の信仰に関する思索を、「だぶだぶの洋服を和服に仕立て直す作業」と表現している。(Wikipediaより)
今回紹介した本
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